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カラマーゾフの兄弟 / ドストエフスキー著
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- 2009/01/07(Wed) -
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─ 2008年12月7日(日)、筆 ─ 「人生は楽園なんです。僕たちはみんな楽園にいるのに、それを 知ろうとしないんですよ。知りたいと思いさえすれば、明日にも、世界 中に楽園が生まれるに違いないんです」 「優しい親愛なあなた方に愛してもらえるなんて、そんな値打ちが 僕にあるでしょうか。こんな僕のどこがよくて愛してくださるんですか。 それにどうして今まで僕はそれに気づかず、ありがたいと思わなかった んだろう」 「本当は誰でも、あらゆるものに対して全ての人の前に罪があるんです。 どう説明したらいいのか分らないけれど、僕は苦しいほどそれを感ずる んだ。それなのにどうしてあの当時の僕らは、のほほんと暮らして、腹を 立てたり、何一つ知らずに済ましたりしてきたんだろう?」 「ねぇ、どうして僕らは喧嘩したり、自慢し合ったり、お互いに恨みを いだき合ったりしているんでしょう。このまますぐ庭に出て、散歩したり、 はしゃいだり、愛し合ったり、ほめ合ったり、キスしたりして、我々の 人生を祝福しようじゃありませんか」 (『カラマーゾフの兄弟』より、ゾシマ長老の兄・マルケルの言葉より) * * * ドストエフスキーといえば、誰もが一度ぐらいは耳にしたことがあるで あろう、有名な『罪と罰』の著者である。『罪と罰』もこの『カラマーゾフ の兄弟』も、高校を卒業した頃だったかに一度だけ読んだことがある。 ──が、当時の俺はまだまだ稚拙で未熟な子供同然だったので、 活字を目でなぞってはいても、その活字の意味するところ──本当 の意味での物語の内容は およそ理解できぬままに終わった。 それをもう一度 読み直したいと思ったのは、とあるちょっとしたことで ある人からこの本の名前を想起させられたからである。 今はまだ中巻の中ほどまでしか読めていない。上・中・下と3巻に 分かれていて、3巻ともが分厚い著書なので多忙な日常の中では 読み終えるのはいつのことになるかは分からないけれど。 今は読み進めながら、何度も感動を禁じ得ない・・・ カラマーゾフの三男、アリョーシャのあまりに綺麗な心も感動を覚える のだが、それ以上に彼の崇拝するゾシマ長老の言葉や思考に触れ、 その崇高さに我が身を振り返り、愚かさに気づくことのなんと多いことか。 上記はゾシマ長老の兄・マルケルの言葉ではあるが、それがそのまま ──いや、それ以上の人類への溢れる愛情を、ゾシマ長老は人々に 惜しみなく分け与えるのである。俗人にはとても真似のできない、深く 大きな慈悲の心の偉大さに驚きすら覚え、圧倒されると同時に、己の 価値観や 正直なところ、俺は神様など信じちゃいない。この世には神も悪魔も 存在しないという考えを改めることのできない無神論者である。しかし それでも、ゾシマ長老の言葉や人類への願いの美しさには感動し、 宗教になど入る気はないけれど、彼なら崇拝しても構わない気に させられるのだ。 彼の視点から己を見つめると、罪深く愚かしい人間に過ぎない。 愚かで、浅はかで、醜いウジ虫のような人間だろう。 彼の望むような人間になれたなら、どんなに素晴らしいだろう?と 思いはするが、現実に返るとそれは不可能だと苦い気持ちになる。 今までにも何度も実感してきた。この世の中は、心の綺麗な人ほど 生きにくい世の中だと。全てが退廃しているとは言わない。けれど、 今の世の中は、図太さや 生き抜いていくことは不可能に近いだろう・・・ 純粋で綺麗な心の持ち主ほど、世の中の醜さに打ちのめされ、 汚され、引き裂かれて挫折や絶望という悪夢を見るのだろう・・・ 精神が病んで、社会に対応できない人ほど きっと純粋で美しい心の持ち主なんだ… ゾシマ長老の理想とする世界が、 もしも未来にあるとしたなら どんなに素晴らしいことだろう? それが実現するのはとても不可能だけれど、 もし仮に実現したとしても──・・・ 俺はそんな世界を拝むことなく ”無”に返っているに違いない |
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